「お前、何してんだよ!」
 それを振り向き様に見たエドが慌てて駆け寄り籠を奪い取るとそこにあった飲みかけのお茶が入ったカップを差し出す。
 だがアルは差し出されたカップを制してそのままもぐもぐと口を動かしたあと…難無くそれを飲み込んだ。
「お前…無理しなくていいって……」
「……美味しい」
「へ?」
 もう一口千切り口に運んだアルがうん、と頷いて目を輝かせる。
「姉さん、これ…母さんが昔作ってくれたカステラの味だ」
「カステラ?」
「ほら、絵本にあったフライパンいっぱいのカステラ!」
「あ、えと、あ、あれ…何だっけ……」
 うっすらと記憶に浮かび上がったそれが思い出せず首を傾げるエドにアルは籠からカステラを千切り取った。
「食べたら判るよ、ほら!」
 差し出された指に摘まれたカステラにそっと口を寄せて啄む。
 途端にふわりと口の中いっぱいに甘い、懐かしい香りが広がった。
 

『ほーら、出来たわよ!お日様みたいなふかふかまんまるのカステラ!』
 差し出されたフライパンいっぱいに広がる、黄金色のふかふか。
 たまごとバニラとミルクの香りが部屋中に広がって。
『すごーい!』
『かあさん、すごいや!』
 いつもみたいにふわりと笑うのではない、えへん、と胸を張った母の笑顔。
 嬉しそうにそれをほおばる自分と弟。
 その脇に広げられた、幾度となく読み返して古びたお気に入りの絵本。
 そこにある文を繰り返し繰り返し歌っていた、懐かしい昔の記憶。
 

「……この世で一番好きなのは、お料理すること、食べること……」
「そう、それ!」
 エドの唇から不意にこぼれた歌声に、アルは嬉しそうに頷く。
「記憶の何処かにあったんだろうね、母さんのカステラ」
 すっかり忘れていた。
 でも言われてみれば、あのカステラを作って貰った事が物凄く嬉しくて、そして物凄く美味しかったのだけは今でもはっきりと覚えている。
「そっか、母さんのカステラか…」
 籠の中のカステラが、思い駆けず母の記憶に繋がったことにエドは微笑む。
「でも、これは姉さんのカステラだね」
「なんでだ?」
「だってこの色…姉さんの色だよ?綺麗な淡い色…光に透けた姉さんの髪の色みたいだ」
 アルの指がエドの髪を結い上げていたピンを抜き取った。さらりとほどけた絹糸のようなそれがエドの肩に、背に緩やかな波を描いて広がり、午後の陽光を受けて淡い黄金に彩を映してきらめく。
「母さんのカステラは母さんの髪の色だったし。だからこれは姉さんのスペシャリテだね」
 さらりと告げられた言葉に、再びエドの顔が朱に染まった。
「おっ、お前はまたそんな恥ずかしい事を言って……」
 だがアルはそんなエドににっこり笑って返す。
「本当の事を正直に言ってるだけだよ。柔かくってふわふわで甘い…ボクが唯一平気で食べられるお菓子だからね」
「は?」
 つい、と寄った顔が子供の時のように悪戯に微笑んで、エドの唇に残っていたカステラを舐めとった。
「甘いのは、エドだけで十分」
「な、なななななな何をやってんだお前は!」
「姉さん、すっごく可愛い」
「ふざけんなぁ!」
「ふざけてなんか無いってば。さ、お茶にしよう?」
 じたじたと暴れるエドの頬に軽くキスするとそっと小脇に抱き寄せる。
 動きをある意味封じられて、エドは斜め上を見上げて眉を上げた。
「……お前、確信犯だろ」
「さて、どうだか?」
 余裕の笑みを浮かべる弟に、エドは軽く息を吐いてアルの胸を軽く叩く。
「…もういい、お前だから騙されてやる」
「ありがと」
 その表情が、後ろを必死に着いてきたあの幼い頃の笑顔とダブって脳裏をよぎった。
 

『このよでいちばんすきなのわぁ』
『おりょーりすることたべることー』
『でもボクのいちばんはねえちゃんだよぉ?』
『そうなのか?』
『うん!ボクね、ねえちゃんがいちばんすき!』
 

 お茶の準備をする後ろ姿を見つめながら、エドはくすりと笑った。
 満開の笑顔で『好き』と言った、あの愛くるしい笑顔。
 あの笑顔をずっと見ていられるなら、何だって、どんな事だって出来る。
「オレだってずっと前から一番は料理することでも食べることでもねぇけどなぁ……」
 その小さな声が届いたのか、アルがポットから紅茶をマグに注ぎつつその顔を覗き込んだ。
「何か言った?」
「いや、別に」
「別にって顔してないけどなぁ」
「本当に何でもないよ?」
 くるりと映した光を猫の様に瞬かせる瞳を見つめ返すとアルは不意に浮かんだ記憶とその表情が鏡のような事に気付いて笑みをこぼす。
 

『オレだってアルがいちばん、だーいすき!』
『ボクのほうがすきだよぉ!』
『オレのほうがおおいんだ、だってオレはねえちゃんだからな!』
 

 何時だって自信満々な笑顔。
 でも、アルにとっては誰よりも甘い、愛しい笑顔。
  自分だけの、甘い甘い極上のお菓子。
 その笑顔は、誰にも渡さない、渡せない。
 そんな事を思っているなんて悟られまいと笑顔を崩さず手渡したマグを持つ手にエドの手が重ねられた。
「オレ今どんな顔、してる?」
 首を傾げて尋ねるその笑顔は、柔らかな日だまりのようで。
 思わず取り落としそうになったマグを慌ててテーブルに置くと、つられる様にアルの顔も綻んだ。
「溶けちゃいそうに甘い顔、してるよ」
「そりゃお前の事だ」
 ピッと鼻先に突きつけられた指を取ると、そっとその先に振れるだけのキス。
「そう?でもしょうがないよ、姉さんがいるからね」
「バーカ、言ってろ」
 呆れたように笑って言うエドに、アルは持ったままの指をぺろりと舐めて、笑った。
「うん、一生かけて食べてあげる。エドはボクだけの甘いお菓子だから」
「バカ………」
 呆れた色より甘い色を含んだその言葉に、アルはそっと囁いてキスをねだる。
 そっとエドから触れたそのキスは、甘い甘いカスタードの香りがほんのりとしていた。
 
 
 
 
 

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