パン、パン、と喝采の拍手にしては間の抜けきったそれが行動に響き渡る。
「お手並み拝見……と言った所かな?久しぶりに面白いものを見せてもらったよ」
頭上からの声に彼は視線すら向けようとぜず口元で止めた石をそっと唇に、含んだ。
カチリ、と歯に当たる音は硬質だが一度噛めばばらりと砕けるそれを飴細工か何かの様に噛み砕き一息に飲み下し欠片迄収めてしまうと、彼はようやくその視線をその場へと、移す。
白き御影の十字架の張り出した腕の左側、そこに腰掛け脚を組んで、其れは在った。
短く整えられた琥珀色の髪に白磁の肌、ふわりと裾を広げさせた長衣は汚れ一つない雪白。
そしてその瞳は、彼のよりも暗い、ダークトパーズ。
悠然と微笑むその顔には僅かならず闇が潜む。
並の者ならその視線で射抜かれただけで服従するだろうが、彼にそれは通用しなかった。
まるで何かに怯え、それでも挑む強さを浮かべ視線を反らす事も選ばずに彼は、対峙する。
「何の、用だ」
「貴方に逢いたくて────ただ、それだけ」
「────何を馬鹿な」
彼は、瞼を閉じて頭を振った。
「仮にもクロニクルを継ぎし者がどんな気まぐれに戯れ事を言うか」
「貴方を探して幾つもの夜を超えて、やっとその姿を見つけたと言うのにそんな言葉で片さないで、エドワード……いいや」
その瞳は、何処か甘くそして何処か、苦い。
コイツはこんな目をしたのだろうかとエドワードが遠い記憶に馳せかけたとき、その言葉は発せられた。
「────兄さん」
久方ぶりに────そう、一体どれだけになろうか。
思い出せない程の遠くに呼ばれた音と同じそれで呼ばれ、エドワードは刮目した。
「探したよ、兄さん」
「その名で…その名で呼ぶな!オレは、路を違えたあの時お前の兄では無くなった…だから!」
「だとしても、運命がそう路を示したとしても貴方は」
「止めて、くれ……!」
「ボクのただ一人の、兄さんだ」
頭上より降り掛かるその低いテノールがエドワードを絶望に叩き付ける。
「アル、フォン……ス」
「消えた貴方を捜して、ボクは幾度となく夜を超え、この世界と言う世界を巡った。その度に貴方と連れ違い、背を見止めても追いすがる事すら出来ずその髪一
房指に絡めことすら敵わなかった。兄さん、何故を姿を消した?貴方は一体どんな禁を犯したと言うの?父さんに聞いてもあの人は何も答えを出してはくれな
い、何時もいつも貴方の事は曖昧にはぐらかされてばかり、だから────貴方の口から真実を紡ぎ出すためにボクは貴方を捜していた。共に在るとあれほど
誓ったと言うのにその絡めた指を解き消えた貴方の真実が────知りたいんだ、兄さん」
視線は、逸らされる事無く互いを見据える。
だがその色は方や真撃なる探求であり、方や宣告されし糾弾であった。
「帰…るんだ、アル」
「貴方とならば、喜んで」
「駄々を捏ねるな。もうオレとお前は住む世界が違うんだ。同じ時間、そして場を踏む事は無い────さあ、早く立ち去るがいいクロニクルの長と成りし者よ、我が再び餓えに気付き渇きに目覚めるその前に」
「────兄さん、貴方は────っ!」
途端、涼やかな音が弾ける。
大十字架に向けて投げつけられた試験管の割れた音だ、と理解するより早くアルフォンスは重力を無視してふわりと空に浮き上がった。
グワリ、と割れた硝子を基点に伸びた炎の舌がアルフォンスの脚を掠め嬲ろうとする。
「……全く、相変わらず人の話をちゃんと聞かないんだね」
だがそれは瞬時に起こった炎音の断絶と同時に掻き消えた。
炎の周辺の空気が全て断絶されたためのそれにエドワードは忌々しく舌打ちをしつつその場を一蹴りで飛びずさり手の中の試験管を二つ、見る事も無く選び中空へと投げやる。
「────凍り付け、具現しろ、そして……打ち砕け!」
声と共に硝子が内側から弾け何も無いはずの空間に混じり合った液体から形成された氷の龍が結晶した。
が、と口を開け零度の息を吐きながらそれはアルフォンス目掛けて身を伸ばす。
「……相変わらず造形の趣味が悪いよ、兄さん」
溜め息一つ、留まる場も無い空にその身を定めるとまるで猫でも宥めるかの様に指先を龍の鼻先に伸ばした。
「従え…そして────無へと、帰せ」
高らかに響いた声が龍の胴にビシリと亀裂を走らせる。間を置かず幾筋も入ったそれは結晶の原子レベルまで走り、さらりと気化して姿を無くした。
「こんな子供騙しがボクに通用すると」
「思ってる訳ねぇに」
バサリ、と。
異質な音がエドワードの声にかぶる。
振り向いたそこに、有り得ないものが存在した。
「決まってんだろうがよ!」
背に白き翼を生やしたエドワードが同一線上に舞い降りる。その翼はまさしくライモンドゥス・ルルスの秘薬────錬金薬によって霊体の翼を生み出すそれ────によって生み出されたもの。
飛ぶ事を赦されぬその身体に翼を形成したその速度、技術、正確さに改めてアルフォンスはエドワードと言う名からたぐり寄せたこの世界での錬金術師としての名声を思い出す。
名を変え、文体を変えて幾つも出された学術書、教会で使われる錬金公式、そして異端のクロニクルであるヴァンパネラを滅す為に生み出された蒼き炎を生み出す構築式。
遠い昔、悪魔の業と人の世で禁じられ疎んじられたが故に闇の中で発展したその術式を幼き頃に恐るべき速度で取得し我が物としたその、天才的な術は兄を持って他にあるべくもなく。
それ故に、兄の存在する場を確定させたと言っても間違いではない。
だが、そんな事に浸る暇も与えてはやらない、とばかりに彼は振りかざした指から何かを放ったのだ。
銀光を棚引かせてまっすぐにアルフォンスに向かって走り来るそれが何か、を理解するよりも早く鋼鉄鞭でそれを弾き飛ばす。大半は防いだがただ一つ逃したそれがアルフォンスの頬を掠めて背後へと突き刺さった。
見遣ればそれは、細い銀のダガー。だが、いくら聖別されし銀であったとしてもそれはただの気休めにしかならない事等エドワードはとうに理解っている筈。
何故────と浮かんだ思考は己が身に起きたそれが答えとなった。
皮一枚、それだけを掠めた筈の傷はジクリと痛みを印し、切り裂かれた口からはとろりと血が溢れ出す。
「これ、は」
有り得ぬ事だ、と。
クロニクル────吸血鬼であるならばこんな僅かな傷など即再生する筈。
だが、アルフォンスの顔に走ったその印はゆっくりと深くその口を広げ浸食して行く。
まさか、錬金薬かと考えた瞬間。
「そんな便利な薬が生み出せるならオレは生きてはいない、時期待たずして飢えて死ぬ」
思考を掠めた仮説はそれを聞いたかの様な返答を返したエドワードがくぐもった嗤いと共に切り捨てた。
「この翼やゴーレム、ホムルスを生み出す程度の薬は作れてもどんな毒でさえ無に返すクロニクルやヴァンパネラにそんなものを働かせようとするだけ無駄だ」
先刻、女の爪を受け止めた為に引き裂かれた右袖をぐいと引き破るとエドワードは露になったその腕をアルフォンスへと突きつけた。
「オレの持つ武器は全てその成分にオレの血を含ませてある。それで足りなければ外から血を与えてやる、そうすればただの鋼もクロニクルに対して絶対的な殺傷力を持つ、と言うわけだ」
「────それ、は……その腕は?!」
緩い蜜蝋の灯火が、突きつけられた腕を照らす。
ぬるりとしたその反射光はまさしく金属の、それ。
だがそれがどうした、と言わんばかりにエドワードはバサリと翼を羽搏かせる。
「聞きたい事が在るのなら無理矢理にでも口をこじ開ければいい、話し合おうなどと言う猶予があるのなら力でオレを捉えて思い通りにすればいい。その獲物はただのお飾りじゃあ無いんだろう、アルフォンス?」
「────兄さん、ボクは」
「戯れ言は、オレをねじ伏せてから言うがいい!」
バチリ、と青い光が右腕に走った。
瞬間、装甲がギュンと伸び両刃の剣と化したそれを迷う事無くアルフォンスに向けてエドワードは飛びかかる。横薙ぎに払われたそれを後ろに引いて逸らすと鋼鉄鞭を振るい右腕に巻き付かせた。ギリリとこすれ合う金属が出す耳障りな音がやけに耳をつく。
「ボクは、貴方と共に在りたいだけだ…貴方と、共に!」
きち、と鞭が鳴き声を上げた途端意思を持つようにぎりぎりと鋼の腕を締め上げる。
だが、痛みを感じぬ金属には何の疲労も与えられず、エドワードはただギリリと繭を跳ね上げるのみ。
「オレは言った筈だ、もう共に在る事は無いと…邪魔をするならオレはお前を殺す事すらいとわない…そしてオレにとってお前は餌である事を忘れるな」
一瞬、その唇がやけに赤く色づいたかに、見えた。
「さあ、そろそろ本気を出したらどうだアルフォンス!そうじゃなきゃお前の願いなど敵う事は決して────無い!」
巻かれた鞭を掴みぐいとそれを引き滑る様に身体を引き寄せるとエドワードはアルフォンスの腹を蹴り付け鞭を身体を引き剥がす。ふわ、と反動に浮いたその身体はただ一つの言葉でその力を消した。
「……ほどけろ」
ばさり、と背の翼がその結束を緩めエドワードを包み隠す様に広がった羽根は意思を持つかの様にアルフォンスに絡み付き伸ばす腕すら阻む。
「兄さん!」
落ちる、と。
墜ちて行く、と。
纏い着く羽根を鞭で切り捨てながら、脳裏に奔った単語。
アルフォンスとてただ無駄に幾夜を超えて来た訳ではなかった。出来る限りの事をして兄に関わる情報を集めて来たのだから。
それによればクロニクルであった筈の兄、エドワードから本来持つ力はほぼ失われ、彼が使うのは錬金術や武術、剣術に限られるという。
それが事実であるなら、エドワードの身体を中空に留めていたあのライモンドゥス・ルルスの秘薬の翼が失われたならば、兄は己と同じ様に中空にその身を留める術を持ってはおらずその身は重力という人を人として縛り付ける星の力にに引き摺られ地に叩き付けられる他、無い。
「く、っ………邪魔、だっ……」
命を天秤に乗せ、行く末を賭けて戦っている。
それは紛れも無い、事実。
それでも、なおその存在を気にかけてしまうのは、甘さなのか。
だが、ただ一人に心を砕く事がいけないなどと誰が言った。
全てを投げ打っても、この身の置かれる刻に縫い留めておきたい。
その命を、自由になどさせはしない。
全ては、我がものなのだ、と。
ひゅ、と鞭が鳴って手元にそれが纏められる。
舞う羽毛の波の中、アルフォンスの双眸が恐ろしく冷たい光を放った。
「……我が前より退くがいい、我が意図に反するもの……っ!」
声が、響く。
ギラと彩を変えた両の瞳が空間を捉えた。
纏わり付いていた羽根がその色を白から褐色へ色あせ砕け散る。
腐蝕の光……それはクロニクルの長が持つ特異能力。
その瞳に意思を持って捉えたモノを有機、無機問わず朽ちさせ、無へと還す。
触れる事無く、その時を終わらせる闇の光湛えし瞳。
クロニクルが『教会』より脅威として恐れられ敬われる原因。
それを宿すのは、今と成ってはアルフォンスのみ。
そうして枯れ葉の様にぱらぱらと落ちる羽根を追うかの様に地に降り立ったアルフォンスの脳裏に何か余り聞き覚えのない酷い音……例えるなら花火が恐ろしく近くで弾けたかのようなそれが、響いた.
それに遅れる事数秒、左腹部と右肩に背後から感じた重く熱い、感覚。
痛みは殆ど無かったが、それが何かは音と熱を感じ理解してやっと気がつく。
ゆっくりと振り向けば彼の人がその生身の左手にクラシカルな装飾の施された一見しただけではただのアクセサリーに過ぎないと言ってしまいそうな赤い石を飾った銃をこちらに向けていた。
その口からは確かに白い硝煙がゆるりと棚引きこの身体に受けたそれが誰の施しかを否が応でも物語る。
「だから本気を出せと言った」
銃を下げる事無くエドワードはアルフォンスを見詰めた。
「路を遮るものは全て殺す、そうやってオレは生きて来た。それはお前も例外じゃない……クロニクルの主よ、先も言ったがオレの持つ武器は全てお前達にとっ
て致命的な効力を持つこのオレの……ウェティコの血を含ませたものだ。そのままにしておけばそれは肉を爛れ骨を腐らせ癒す間も与えずにお前達を死へと導
く……それを、その効力を消すには」
鋼の指が、その白い喉をついと撫でる。
誘う様に瞳が、揺れた。
「この、オレの身体に未だ存在する核を喰らい、血を啜り肉を食み全て取り込んでしまえばいい。そうすれば二度と同族食いの毒に苦しむ事も無い。主よ、お前に与えられた路はただ一つ。オレを喰ってその身を冒す我が血を打ち消す他に術は、無い」
「………貴方を喰らって、生き存えろと言うのか」
「その通りだ……それが出来ないならば」
ダン、と乾いた音と共にアルフォンスの身体がびくりと跳ねる。白い長衣が新しく空いた穴より溢れる血液でエドワードのそれのように赤黒く染まるその様をアルフォンスは何処か他人事のように視ていた。
殺したいのならばそれで構いはしない……と。
共に生き、共に永きを征く事が出来ないならばこの身も命も最早意味は無いのだと。
「お前を殺して、その核を貰う……それだけだ」