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音律共鳴 ─Melodie Resonanz─
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その指が、ついと弓を構える様を見て、エドワードは思わず視線を反らした。
先迄、きゅいきゅいと音を立てて弦を引き調律をしていたのだが、それの鳴らす音に満足したのかすぅと目を細めて顎に挟み込んだヴァイオリンを改めて構え直す。
キチリとしたその姿は、着こなしているその礼服と相まって、それはそれは優美な物だ。繻子の漆黒はするりと身体の線を沿いたおやかにドレープを描いてもそのしなやかさを露にする。
格好が、いいのはよく解っているのだ。
そうエドワードは一人ごちた、と言うより誰かに聞かれてしまっても困る物だったし一人きりでいなければ居たたまれなくなるのも事実だった。
あの美丈夫のヴァイオリニストの兄が自分だと判れば、そこここでざわざわと駒鳥の様にざわめく娘達が将を射とせばまず馬を射よとばかりに襲いかかって来
るだろう。まあそんな事があったとしても娘達に都合良く事を進める気は全く無いのだし、よもや自分に言いよって来たとしてもそれこそ馬耳東風でしかない。
所詮そんな言葉の羅列はエドワードにとって『あれはオレのだと暴れ出さないだけ有り難く思いやがれ』と言うレヴェルの事態でしかないのだ。
しかし、今日は少しばかり状況が悪い。
視線が無駄に集中しているのは、自分もきちりと身なりを整えられていると言う事もあるのだろうが、それ以前にあの弟が何をするにしてもこちらを向いたままの姿勢でいると言う事だ。
そして何より、その眼差しがずっとこちらを見つめているのだから、タチが悪い。
その、硝子越しの甘く仄暗い琥珀の、瞳。
普段しない筈のスクエアの眼鏡は、確かに似合っているのだがそれだって無駄に娘達の嬌声を上げる種にしかなっていない事を、あの弟は知っているのだろうか。
「……だけじゃ、ねぇか……」
そうだ。
あの瞳は、オレをダメにする。
エドワードは思い知るのだ。
硝子越しのそれは、まさしく冷ややかさを増し。
それでいてドロリとした欲と闇すら、漂わす。
その光すら、己を射抜き内から溶解す材料となるその、事実。
「やっぱり、格好良いなぁオレの弟、は」
ピアノの席は空いたまま。
それを見てエドワードの口元がにやりと笑みを浮かべた。
英才教育はいやと受けたのだ、鍵盤くらいどうとでもなる。
礼服を着たままでは多少窮屈かもしれないが、それはまあ外見の視覚効果を願ってそのままにしておけばいい。
しばし思案していたが、何事も無い、さもあればドリンクでも取りに行くかのような軽い様子でエドワードは立ち上がった。
周囲の羨望を撥ね除け、引く潮の様に人の波を割り路を己の為に作り上げながらエドワードは反らされぬ視線の主に、同じ黄金の眼光を返して不敵に笑う。
「伴奏者は畏れをなしたかな、若き独奏者殿?」
「そうですね…私も未だ若輩者ですがどうもそのようで」
それは単なる言葉遊びと言うには、殺気すら含んだ危険な刃。
だが、周囲の喧噪等おかまい無しに二人は微笑い。
そっと耳元に唇を寄せる。
「お前の相手はオレだけだ」
「当たり前だろ?早く音を欲しいんだけどね」
「は、後悔するなよ…喰らってやるさ、お前如き」
「なら、喰らい返す迄」
くつくつと笑い合うと、耳朶を軽く噛んでアルフォンスが身を離す。
何事も無かった様にピアノに座ったエドワードは、その手から手袋を落とすと弟の背に向けて─────投げつけた。
それは、甘い交合等とはほど遠い、しかし互いにはそれより何より甘く熱く交わる音の、交わりの始まりの合図。
喰らい合い、混じり合って産まれるその共鳴こそ、欲するものに限りなく近い。
「感極まって泣き出すなよ────兄さん」
「お前こそ、感じ過ぎて倒れんな」
それは、まさしく。
競奏、と言うにふさわしいもの、であったという。
互いが互いの奏でる旋律を絡めとり、音を渾然とさせそれでなおかつ不協和音すら反響和音へと転じさせる迄の。
おぞましく、美しく、そしてあくまでも攻撃的かつ包容すら感じさせるその音。
音の快楽が在るのならまさしくこれがそうなのだ、とその場の者は皆口々に二人を讃えた。
だが、外郭をなぞるだけで感嘆したのみの音は、そう讃える観衆には本質を届けることはなく。
その本当の快楽は、あの二人しか識り得無ず、彼ら以外が識る事は無い。
空気を揺らすハーモニズム。
指を伝い流れ落ちるディストーション。
熱い吐息さえも、奏でる旋律を彩るエフェクトでしかない。
鳴らす音が、響く調べが、広がる波長が。
身体を抉り魂を掻き回し、その身の内から溶かし燃え上がらせる。
それこそが、彼らの求める交合。音の交わり、なのだから。
ポゥン、と。
最後のリフレインを残してピアノの音が薄れ。
キュイィ、と。
弦が軋む音がそれに噛み付く様に乗りかかって。
静けさを取り戻したヴァイオリンを見るより先に幾ばくか高揚したその顔が、すいと傍らを捕らえる。
僅かに濡れた、蜜の琥珀をそのままに鍵盤から指を下ろしたその瞳もまた仄暗い琥珀を見つめ返して。
ついと二人そろって、口元に浮かべたそれはけして感謝や充足のそれではなく。
まるで補食し終えた獣の様に紅い唇を濡らして微笑んで、いた。
音律共鳴 ─Melodie Resonanz─ 2006.4.14
わか様に捧げ……たい。捧げさせて下さいお願いします。